神無月サスケの波瀾万丈な日常

神無月サスケのツイッター(@ktakaki00)を補完する長文を書きます。

まだぱるん氏のことを考えてしまう

先日の訃報( d:id:ktakaki:20110302:p1 )のことを未だに考えてしまいます。あまり感情的な文章を書くのは控えようと思っていましたが、書かずにはいられないので書かせていただきます。

何かの間違いであってほしかったが、受け入れざるを得ない

ぱるんさんの訃報を聞いて以来、いろんなことを考えてしまいます。その中で、何度も考えを巡らせたのが、「何かの間違いではないか」ということでした。

僕はいろんな可能性を考えてしまいました。お父様が僕とぱるんさんの間の私信メールを送ってくれたのを見てもまだ、何かの間違いだという気持ちをどこか捨てきれずにいました。

そこで考えたのが、「ぱるんさん自身が最初から全て仕組んでいるのではないか」という可能性でした。しかし、お父様とメールのやり取りをすればするほど、そういった淡い気持ちは砕かれていきました。

まず、お父様のメールの文面は、あまりにもぱるんさんと違っていました。文章は書きなれているがパソコンにはあまり慣れていないような、よくある中年紳士の感じで、我々の世代の人間がわざと書くには難しいと思っていました。

次に、僕の友人ブラック・ウルフさんとこの話をして、彼が指摘してくれた点があります。それは、亡くなって半年経ってから連絡をくれた点です。遺族は、彼の死後の心の整理と、事務的なあれこれで時間がかかり、また故人の個人的なデータであるメールを見ることにも抵抗があったのでしょう。そんな理由もあって、時間が必要だったのです。これがもし僕を騙すつもりだったら、「数日前に亡くなった」などと言ったはずでしょう。その方がより衝撃的になりますし、ぼろも出にくくなると考えるはずです。

そして極めつけは、何通目かのお父様とのやりとりで、葬儀屋で撮影した彼の死に顔の写真を送ってくれたことです。全身を白い布にくるまれており、顔の部分だけめくって撮影したもののようでした。僕はぱるんさんにお会いしたことがないのですが、これが真実でないとしたら、どれだけ手の込んだことをするのでしょう。自分が死んだように見せかけた写真?他人の葬儀の写真?いずれにせよ、ネット上の人を騙すには度が過ぎています。それに騙すつもりなら、相手が疑ってもいないのにこんな写真を送ってくるはずがありません。

現時点でお父様から5通のメールを受け取っていますが、仮に何か騙そうとしていると仮定して、ここまでぼろを出さないのは難しいと思います。そもそも騙そうとしているなら、もっと手短にすませようようとするはずです。

ネット上の文面だけの交流だと、なかなか訃報は受け入れがたいものだと実感しましたが、メールの数を重ねていき、徐々に彼の死を心から実感しています。届くメールを読むたびに、お父様の悲しみにくれる様子が文面から目に浮かんできます。

故人の気持ちを考えると胸が詰まる

お父様の話によると、遺書はなかったといいます。ぱるんさんは一体どんな気持ちで最後の数日を過ごしたのでしょう。飛び降りの時、何を考えていたのでしょう……。そんな風に彼の気持ちを考え出すと止まらなくなります。

僕と彼との交流、彼がブログに書いた文章から、彼がどんな風に考えていたのか、想像できる部分がかなりあります。ネット上での彼が心の支えにしていたもの、そして彼にとっての創作の意味……そんなものが彼の中で壊れて行ったのでしょう。

ぱるんさんは繊細な方でした。僕も繊細だから分かります。そんな彼ゆえに、いろんなことの積み重ねで一度針が振り切れた瞬間、飛び降りてしまったのだと思います。そのときをやり過ごせば、あるいは落ち着くこともあったでしょう。しかし彼は既にそれ以前にも何度もそういう不安定な状態で自殺衝動とひとり戦っていたのかもしれない……そう思っています。そしてついに、限界に来てしまったのだと。

彼にとって心の支えになっていたものとして、ネット上のものが大きな割合を占めていたように思います。ネット上では彼の作品は賛否両論でしたが、否の意見の中に、あまりにも粘着すぎるものがあったと感じています。それは特に平成ピストルショウの時に感じました。そんな意見に彼が辟易して、一度ネットから距離を置いていた時期があったのを覚えています。Re:Kinderについては僕が最近ネットをあまりしていなかったことから、キャッチアップ出来ていないのですが、見た限り、やはり賛否両論で、彼の心の中でいろんな変化があったのだと思います。

そんな中、僕にも出来ることがあったはずでした。数年前、彼を助けられたらよかった。しかし当時は僕もいっぱいいっぱいだった。うつ病で感情が不安定だった。それで口論になってしまった。もう少し僕に包容力があれば、よかった。そうしていれば、僕が彼の不安定さを受け入れられたかもしれない、そうすれば、それから数年後の、あの自殺も止められたのかもしれない、そこが悔やまれてならない、なぜ僕が生き残り、彼が死んだのか……逆でもよかったんじゃないか……そう思っています。

お父様、ご自愛ください

残された家族の気持ちを考えると、本当に胸が痛くなります。お父様は生前はプレーしなかったぱるんさんのゲームを、故人と向き合う気持ちで今、プレーしているといいます。それを考えるだけでこみあげてくるものがあります。

「僕もうつ病で、自殺を考えたことがある」という僕の言葉を受けて、お父様はこんなこともおっしゃいました。「失礼ですが、もしサスケさんが自殺を考えた時は、死は一方通行で全てを失うことなので、生きる大変さと楽しさを沢山知ってください(概略)」

僕はぱるんさんの死で突きつけられたものを思いながら、それでも生きていかなければならないと思います。