神無月サスケの波瀾万丈な日常

神無月サスケのツイッター(@ktakaki00)を補完する長文を書きます。

ぱるんさんの十三回忌

今年も9月10日午前0:44が近づいてきました

本日深夜、2022年9月10日午前0:44 は、ぱるんさんが逝去して12年目、十三回忌になります。
僕は今夜、ツイッターで、本日午後11時あたりから、何等かの思いを、綴っていきたいと思います。
神無月サスケ (@ktakaki00) / Twitter
毎年の事ですが、今年もお付き合いいただける方がいたら、幸いです。
今年は、一連のツイートは、ツイッターのモーメント機能などを使って、まとめてみたいと思います。これまでは書き流すままにしていましたが、どうなるか気になります。

ぱるんさんって誰?という方へ

こちらのエントリをご覧ください。
ktakaki.hatenablog.com
彼の逝去から既に12年が経過しましたが、それでも彼の作品のファンは一定数おり、毎年何らかの反響があります。

お父様の現在の連絡先

2022年9月3日のお父様への最新の連絡先です。

PC

parunpapa@live.jp

最近ふと思ったこと

今夜のツイッターでは、例年の通り、アドリブで書きたいので、
ここまで感じた事は、ここで書いておきたいと思います。

自殺の瞬間の感情を共有した気がした

ぱるんさんの自殺の瞬間の感情……なにか今日未明、布団の中で、その感情を共有できた気がしました。
僕は、はっとしました。ぱるんさんのブログ、最後のエントリに、「自分は今、インプットの時期」とかかれていました。
ぱるんの妄想絵本

この状態、今の僕も似たような感覚なのです。しかし、最近気づいたことがあります。僕は、妙に、インプットをするのが、難しくなってきたことに。それはつまり、感性が衰えてきているということなのです。
昨日、過去の自分のメモから、10年前の自分の事を見つけて読みました。そして感じたことがあります。それは、「10年前から自分も、インプットの時期だと思い続けてきているが、時期を追うごとに、徐々にそれが困難になっている」と。

動かぬ証拠がこのブログです。過去、不定期に、ツイッターに書けない長い文章について、思いをつづってきました。しかし徐々にそれが無くなって来た。何もしなくても、過去の自分は、いろんなことが、自動的に頭の中を去来していたし、重要な物は頻繁にノートにメモしていた。よって、当時は、なにもなくても、退屈することなど、なかったのです。

ところが、徐々に、そういった「思い」が浮かぶことが減っていったのです。それは、僕が抑うつ状態と診断された時と、時期を同じくします。
当時の自分は、全くそれを自覚していなかった。まだ、能動的に「思ってみよう」と感じると、すぐに何かが出てきたからです。しかし、能動的に思っても、何も出てこないくらい、自分の中の「思い」が枯渇してしまいました。

……僕はそれまで、そんなことに気づかずに、ただ、サンプルゲームなどの依頼された仕事をこなしてきました。(「エミールの小さな冒険」、「青鬼2016」、「俺がDarkest Dungeonの世界に転生した件」など)。しかし、これらの作品は、いずれも、「依頼された企画もの」あるいは「シナリオを自分で書かなかった」作品ばかりなのです。

……これらを制作していた間、徐々に僕のうつ状態は、深まって行っていた、自分の「思い」に目を向けず、敢えて、創作の敷居の低い、リメイクや二次創作、そして、プロットを他の人に書いて貰ったシナリオの執筆などに終始していたのです。

僕の代表作として、Moon Whistle(以下ムンホイ)があります。「ムンホイ2を作りたいが、なかなか何も思いつかない」と言いつつ、実際には、依頼された仕事としてのゲームばかりで、「自分のゲーム」を何も作れなかった……10年前のその時から既に、そして、ずっと……。

それに気づいたのは、まだまだ感性豊かな10年前、2012年の自分が「ムンホイ2が作れない」と悩んでいたことでした。

当時は自己分析も的確に出来ていて、「ムンホイというゲームは、幼稚園児が主人公だが、これは、まず糸井重里のMOTHERシリーズが原点にあり、そこに、須藤真澄イラストで、幼稚園児が主人公の『ごきんじょ冒険隊』というRPGの出会いがあったからだ。今はそこまで自分を揺さぶってくれるものがないから、それを探すために、インプットを続けないと」とありました。

……どうでしょう、僕はインプットの時期に入っていました。そしてそれから10年。現在、このブログの記事の多くが、ゲームの紹介や、やりこみばかりになっています。

そう、インプットの時期に、今も僕があるわけです。

そして、それは、鬱状態が深まっていったことと、深く関係があります。

……死の二か月前に仕上げた『Re:Kinder』で、自分の鬱気分を全てアウトプットしきったぱるんさんは、恐らく、今の僕と同様に、思いが自然と浮かばない、枯渇した状態になっていた、あるいはそれに近い状態にあったのだと、感じました。

「インプットが必要」と強く書かなければならない、そう訴える状態……実は、ここで、ぱるんさんは、相当に感情が不安定になっていたのです。

感情が不安定になる、それは、感情が、波型ではなく、インパルスで来るのです。つまり、徐々に嬉しくなったり落ち込んだりではなく、瞬間的に衝動的な気分が、起きるのです。それは驚き、恐怖、怒り、……いろんなバリエーションがあります。

……僕がまさに「休みが必要だ」と感じて数日自主休業した日。そこまでの自分は、まさにそういった感情が、不定期に、数分に1回とか数十秒に1回とか訪れ、後は空虚になる……そんな状態でした。プラグイン作成中に、突然原因不明の怒りが湧いて、机を両手で強く数回殴ったこともあります。

この感覚がもし、創作が出来なくなった自分に向かったとしたら……。自分の家は若干大声を出しても近所に迷惑が掛かりません。マンションでは、そんな形で感情を吐き出すと近所迷惑、という理性が、先に来てしまう。そうしたら怒りをぶつけようとして行ったことが……………。

感情のインパルスから、衝動的に自分にやつあたりをしたくなり、衝動的に、ベランダに立ち…………そう、衝動的な感情の起こした不幸が、積み重なった結果なのかもしれない……と。

……これは、無責任な仮説にすぎません。しかし、この推測が当たっていたとしたら、恐らく、誰も、予兆に、気づくことは困難だったでしょう。……そう、今の僕が、「数日サボらないと死ぬ」と思って、こっそり自主休業しているけれど、ひとまず誰にも迷惑は掛かっていなかったように。

だから、ぱるんさんに必要なのは、休むことだった。インプットすることも放棄して、鬱から抜け出して、感性を復活させないと、それすらうまくいかなくなっていた。自分の感情を、自分への苛立ちと捉えず、赤信号だと捉えて、休んで欲しかった。

PCの電源は消してしまう。飲食や薬、トイレや入浴など、必要最低限の事だけ行い、あとはひたすら部屋を薄暗くして、「何もない状態」に身を置くこと。今の僕に必要なのは、それまで続けていたインプットではなく、それであると悟ってから、ここ数日、ひたすらそうし続けた。……ぱるんさんにも、そうしてほしかった。

当時の彼にアドバイスできるなら、「休んで、今は、一刻も早く」僕は、そう警告していたに、違いありません。

このページを見ているあなた、今、あなたのメンタルは、休みを求めていませんか? インプットが必要だ、と感じているけれどうまくいかない時、 仕事をしたいので色んな精神薬やカフェインを大量に入れたけれど出来ない時(=カフェインや精神薬で自分を仕事に向けていたが、それらのヘルプを以てしても限界を超えてしまった時)、鬱状態だったが、ふとしたちょっといい感じの動画をYoutubeで観た途端に涙があふれて止まらなくなったなど、感情が突然襲ってきた時(=感情が、波形ではなくインパルスを描き始めた時)、あなたは、出来ない自分を責めていると思いますが、そうではなく、あなたのメンタルが、赤信号を出しているのです。いますぐ、PCの電源を落とし、休みを取れ、と。何も考えずに横になれ、と。

予兆に気づくことが大切なのかもしれない

僕にも予兆がありました。8月26日、突然右目に激痛が走ったのです。ディスプレイにも光にも細心の注意を払い、目の疲労を最大限減らす工夫をしていたため、一日16時間モニターの前にいることを週5日続けても、全く平気な状態がフリーランスとして独立して以来、16年以上続いていたのに、です。

僕は作業記録を付けているので、見てみました。働く時間が、以前は「3日全力で、2日ローギアから、2日休むのも働くのも可」みたいな感じだったのに、「9日間ハイペースでやり、48時間連続で寝る」みたいな、常軌を逸した状態になっていました。

……これが異常だと気づかず、ただ、淡々と仕事が出来ていることに満足する、それが、鬱の行きついた先の人間の思考回路なのです。

その後数日休んで再開しましたが、まだ足りない。
目は落ち着いたのに、前述のように、どれだけカフェインや精神薬を入れても、手が動かないのです。やり方が分かっている簡単な作業なのに、脳が作業を拒否するかのように、手が動かない。

「これは脳が限界だと、訴えているのかもしれない」……そういう直感が来ました。これ以上続けたら死ぬ、脳が悲鳴を上げているのだ、と。

それで自分の判断で、9月5日から10日まで、「最低限の仕事以外全部サボる」と決めて、PCを落としたり、最低限ツイッターで会話を楽しんだり、を続けてきました。

現在、9日の正午1時前、休むと決めた自分の判断と、「6日間休む」と決めた自分の判断を、正解だと思いました。

正直、この「隠れ自主休業」は黙って置くつもりでしたが、「書くことで救える命がある」と感じてしたためたものです。

結論

長くなりすぎてしまいました。やはりこれを今、ここにアウトプットしておいて、正解でした。仮にこれを夜中に書いていたら、きっと、結論が出る前に、黙祷の時を迎えていたでしょうし、なかなか結論の示されないツイートに皆首をひねっていたでしょう。

……僕にとって、このエントリが、何年かぶりに、ゲームの紹介でもなく、技術的な記事でもない、自分の思いの丈をぶつけた文章になったことでしょう。

ようやく、少しずつ転げ落ちてきた鬱の底から、V字回復が可能になりそうです。

そう、ここまで、鬱により、少しずつ出来なくなっていったことを、少しずつ休みを挟みつつ、出来るようにしていく。時計の針を巻き戻していけば、きっと可能だと思うのです。