神無月サスケの波瀾万丈な日常

神無月サスケのツイッター(@ktakaki00)を補完する長文を書きます。

窪塚洋介 2004年6月6日にビルからダイブ

久々に、昔の僕らしい感覚が浮かんできたので、そういう文章をしたためてみます(微笑)。

http://www.zakzak.co.jp/gei/2004_06/g2004061006.html

僕が日記を中断している2年(2004年4月〜2006年3月)の間で、特にインパクトのあったニュースがこれである。僕は芸能界のことには非常に疎いため、このニュースを見るまで、窪塚というのがどういう人なのか知らなかった。

事件をニュースで見て興味を持ち、ネットなどで情報を調べて、窪塚と言う人間を知れば知るほど、衝撃が走ったと同時に、親近感を覚えていった。

窪塚洋介 - Wikipedia
Wikipedia窪塚洋介の項にも、略歴(2001年〜)を見てもらうと、彼が様々な方面の思想にどっぷり浸かっていたことが分かる。

雑誌『Quick Japan』で彼の転落事故前の言動が載っていたので、迷わず買ったこともあった。大麻を推進する彼の意見が載っており、めまいがした。ミスチルの桜井さんから「散歩にでも行きませんか?」というコメントを寄せられていたのだが、要するに「熱くなるなよ、落ち着けよ」といわれているわけだ。

彼に対する客観的な肯定意見や批判などは言い古されているので、ここでは客観的な意見は述べず、あくまで主観的に述べると、僕は当時、窪塚に親近感をおぼえていた。

どういう親近感なのか。それは「危険思想も含めて、自分の受け入れるものも、そうでないものも、すべて表面に出してしまった」ということだ。僕はかつて「Moon Whistle」「Another Moon Whistle」というアマチュア作品を出したことがある。前者は、自分の中の思いのたけをぶつけ、後者では自分が見聞きした世間の意見をとにかくぶち込み、プレイヤーに判断させるという手法をとった。

こういう表現の行き着く先と言うのは、どうしても体を張った自己表現にたどりつく。タナトス(死の本能)と言う言葉があるが、まさに最後はそこなのだ。それが窪塚にとっては、ビルからのダイブだったのではないか。「I can fly」という。あれは、体を張った自己表現だったのだと思う。

一方、拙作「Moon Whistle」の中では、自殺を扱った部分が出てくる。「Another Moon Whistle」に至っては他殺の是非を問う部分まで出てきて物議をかもした(ネタバレすると「なぜ人を殺してはいけないのか?」とプレイヤーに問う部分がある)。なお、作中で他殺の是非を問うたその人物は自殺をほのめかす。自殺と他殺は、どこか表裏一体の部分があるのかもしれない。

僕が窪塚に強く共感するところまで過激な表現をしたにもかかわらず、「I can fly」とならなかったのは、まさに作品で表現することでカタルシスを得たからだったのだと思う。作中の人物が代わりに自殺する(未遂だが)ことによって、作者である僕は、それをせずに済んだのだと思う。

ある占い師が、こんなことを言っていた……殺人犯は、そういう星を持って生まれてくるものだ。しかし中には推理小説の作家になり、作中で殺人をする人物を描くことによって、自ら殺人をすることをやめる者がいる、と。占い師の言葉と言うことで胡散臭いが、僕が調べきれていないだけで、犯罪心理学でも似たような研究成果は出ているのではないかと感じる。

現在、窪塚洋介は奇跡的な回復を遂げ、映画にも出ているという。活動を追っていないので何ともいえないが、一皮向けた感じなのではないだろうか。そしてそれは現在の僕を考えると分かる。一度表現しつくしてしまうと、熱は冷めてしまうものだ。

とはいえ、僕は現在、当時の熱を冷ましてしまっていいものだろうか、そう思い必死に悩んでいる。大麻を肯定していた時代の窪塚を崇拝するものがいるかどうかは分からないが、望ましいことではない。一方、Moon Whistleは未だにファンがおり、それは非常に望ましいことだ。作者である僕も、何らかの形でのリメイクを考えてはいるものの、最大の難関は、「これを制作していたときと同じ勢いで制作できるか」ということだ。あの激しい情熱を呼び戻すことが、まだまだ僕には必要なのかもしれない。

今は「ぼくのすむまち」という短編連載を続けつつ、リハビリをし、今後のことはゆっくり考えていくことにする。