神無月サスケの波瀾万丈な日常

神無月サスケのツイッター(@ktakaki00)を補完する長文を書きます。

Wiiという名前

先日の日記で「Wiiというのは変な名前だが任天堂もそこまで考えている」と書いたのですが、この部分の反響が大きかったので、もう少し任天堂の中の人の気持ちになって書いていきたいと思います。

僕が見つけた反響

任天堂ゲーム機の新名称「Wii」、ファンの反応は複雑
http://japan.cnet.com/news/tech/story/0,2000056025,20104034,00.htm

僕としては「任天堂も考えた上で変な名前にしたのではないか」という意見でしめくくってほしかったが、残念ながらしめの文句は「任天堂にとってはこれからが大変なようだ」である。残念だ。やはり、もう少し違った視点の意見が見つけられなかったのだろうか。だとしたら僕が声をあげねばなるまい。

というわけで以下は、完全に主観的で憶測的な内容です。裏づけになりそうなソースや、逆に反論になりそうなソースを見つけたら、いろいろとコメントつけてもらえるとうれしいです。

クールな商品名は、すでに飽和状態である

何か新しいものを作るとき、一般的にクールとされる名前をつけたがるのは、人類共通といえる。結果的に会社名や商品名などは、どれも似たようなイメージの言葉で統一されてしまう。

「Recolution」も、まさにそれである。名前でインパクトを持たせるためには、この名前は逆にありきたりすぎだと言える。いや、実際に任天堂がレボリューション、すなわちゲーム業界に革命を起こしたいという意思は見て取れるし、その意図は十分伝えられるだろう。しかし、任天堂は今から己がやろうとしていることを、この陳腐な名前で表現することは不十分だと考えたに違いない。

それではどうするのか。そこで次の命題を考える。

すごい商品名でも、栄枯盛衰がある

僕が新製品の名前で一番夢を膨らませたのは、ドリームキャストだった。夢を意味するドリームに、ブロードキャストのキャスト。丁度インターネットが普及し始め、ブロードバンドが憧れだった時代、ネットにもゲーム業界にも夢があった時代だった。

しかし、そのハード名は普及するにつれ、インパクトは薄れていく。一方、ハードの実勢は栄枯盛衰がある。今となっては「発売当初は鳴り物入りで登場したのに……」と昔を懐かしむ声ばかりが聞かれる。僕は持っていなかったが、周囲のセガファンはみな、口々にいいハードだった、いい夢を見させてくれたと言っている。

さて。Revolution(革命)だが、果たして50年後の未来にその言葉にインパクトはあるだろうか。そもそも歴史を紐解くと、革命というのは時代が経過してから語られることが多い。現在進行形で語られることが商業の世界ではあるが、あくまで宣伝やプロモーションの手段であることが多い。革命は歴史になってしまう。革命は過去形で語られる。

任天堂が選んだのはピンポイントの時間軸で起きる革命ではなく、常に変化し続けることではないのか。変化し続ける現象に対して、一貫した名前をつけるには、どうすればいいのだろうか。

それに結論をだす前に、もうひとつ重要な命題をあげておく。

すでに良いイメージの定着している言葉は革命的な概念にふさわしくない

たとえば、ドリームキャストに話を戻そう。ドリームという言葉は、いい言葉だ。しかし、周囲を見回すと、いささか濫用されすぎて、マイナスイメージをも連想させることがある。

たとえば、宝くじ。「ドリームジャンボ宝くじ」として使われる。マイナスとまではいかずとも、夢から覚める経験を多くしている人にとって、この言葉は現実の厳しさを感じさせる。

時には、その対象自体が持つマイナスイメージを覆い隠す意味で使われる。以前野良犬や野良猫を処分する部屋を「ドリーム室」と呼んでいるのを見たことがある。それ以来、僕がドリームと言って一番最初に浮かべるのがこの光景になった。ペットを捨てる話題は話がそれるのでまたの機会にするが、要するに手垢のついたプラスイメージの言葉は、えてしてこのような場面で引き合いに出されているものなのだ。

Revolution(革命)。この言葉に込められたイメージは、道を切り開くなどプラスのものが多いように感じる。しかし、決して心地よいとは思えない、血なまぐさいイメージも、皆さんはいくつか想起するのではないか。

この点からも、「長い間親しまれる名前」としてRevolutionといった「すでに手垢のついた言葉」を避けたかったのではないか。

Wii』は任天堂が新しい意味を独占して付け加えていく新天地である

さて、ここまで話してきた命題に対して、任天堂が出した結論こそが『Wii』なのである。

Wii』という名前はどうか。我々日本人にとっては少なくとも別の似た言葉はほとんど思い浮かばない。海外の人間は「We」を思い浮かべるという。

もっとも、海外では「Wee(幼児語で小便)」を想起させるといって避けてきたという。他の企業は、その理由で会議に上がっても数秒で選考からはずしていたのではないか。一方、任天堂はそこを逆手に取ったのだ。

どの企業も使っていない名前=手垢のついていない名前

なのである。Wiiの持つ「小便」というイメージを払拭する方が、他のクールな言葉に長年ついてきた(=数々の企業がつけてきた)垢を払拭するより、はるかに容易だと任天堂は考えたのだ。

変な名前は皆がいち早く広め、マイナスイメージの払拭を早くする

トップに引用したソースでは、海外のブログの、Wiiに対する手厳しいコメントを引用している。しかし、そうやってこの名前を何度も取り上げ、時には批判し、時には面白おかしく書き、そして「任天堂Wiiを出す」ということを、全世界的に評判にすることこそが、まさに任天堂の目論見なのだ。

人は、普通に耳障りのいいニュースよりも、ゴシップ的な変なニュースを取り上げたがる。僕もその例外ではない。ブログが普及し、個人が情報を発信しやすくなると、さらにその度合いには拍車がかかる。

いつの間にか、Wiiのイメージは「小便」から「任天堂」に変わってしまっているだろう。そのためにかかる時間?情報がウェブで光の速さで地球の裏側まで届く時代だ。情報がいきわたるのは即座だ。その情報を受け取ってからその言葉に慣れるまでには、引越し先の第一印象がいやだったが実はいい人だった隣人と仲良くなるまでの時間、そう、3ヶ月もあれば十分なのではないか。

そう。Wiiのイメージが任天堂になった時点で、任天堂次の一手を出すのだろう。

『名前をつける』ということの重要さを改めて感じた

僕が書いたことは、あくまで僕の直感に基づいたものだ。しかし、3ヵ月後読み返すと、きっと僕自身でも驚いてしまうかもしれない。

しかし、僕は今回、名前だけをテーマにこれだけ語ってしまった。これだけでも、Wiiの策略に、まんまとはめられてしまっているのだろう。任天堂は本気だ。

追記 2006/05/03 01:46

遅ればせながらNintendo iNSIDEにて、以下の記事を発見した。先日の日記でthomas氏がコメントで紹介していた引用はここのことだろう。

http://www.nintendo-inside.jp/news/182/18273.html

併せて読んでいただけると、僕もあながち的外れなことは言っていないように思える。