神無月サスケの波瀾万丈な日常

神無月サスケのツイッター(@ktakaki00)を補完する長文を書きます。

MOTHER3がプレーできない

さて、ここを見に来た皆さんは、マザー3が発売されたとき、僕の事を思い出してくれた人も少なく無いと思う。それほどにマザー2は僕の人生に影響を与えたゲームである。

拙作「Moon Whistle」もMOTHER2の影響を強く受けていると感じる人は少なくなかっただろうし、事実そのとおりだと思う。

3についても、発売日に購入した。しかし最近仕事に忙殺されていてプレーできていない。周囲の人たちからは「クリアしてしまった。(もう先がないという)喪失感をおぼえる」といったプレーの感想を聞くにつけて、早くプレーしないと、という気持ちがある。

僕は数度の引越しで、持っていたゲームも本も、ことごとく古本屋に売ってしまった。しかし、何度引越しを経験しても売らなかったのが、マザー関連のものである。マザー百科もCD復刻前のものを持っている。これは一生ものの宝物だ。ゲームキューブゲームボーイプレイヤーを売らなかったのも、マザー3をやるためだ。

しかし、プレーしたいという気持ちと同時に、今プレーしていいものか?という焦りも感じている。僕がマザー2に与えた影響は大きかった。いわば、これまでの既成の僕をすべてぶち壊し、「ぼく2.0」にバージョンアップを促すような、さなぎが蝶になるような、そのような感じだった。一方、今、僕はそのような変化を求めているのだろうか?僕は既にそれを体験した後である。1999年ごろに出ていてくれたら、きっと当時の僕を救ってくれたのに、と悔しくてならない。

僕はマザー3をプレーするとき、今いる自分がまたリセットされてしまわないか、覚悟しつつプレーしようと思う。こうやって気がついたが、既に僕は歳を取って保守的になってしまったのかもしれない。いや、まだ保守的になるには早すぎる。成長を止めてしまうには早すぎるのだ。