神無月サスケの波瀾万丈な日常

神無月サスケのツイッター(@ktakaki00)を補完する長文を書きます。

僕のHN(ハンドルネーム)について

最近検索エンジンの検索結果を見ると、「神無月サスケ」に混じって「神無月さすけ」というのも見かけるようになった。後者ではうちのサイトはヒットしないため、他のサイトのリンクをたどって、という手間をかけている人が多い。

そもそも僕は以前からひらがな表記とカタカナ表記をごちゃごちゃにしてきたため、皆に混乱を与えてきたのではないかと思う。これは僕が自分のHNの表記に、ひいてはHNそのものに対するこだわりがいかに薄いかを物語っているといえる。

世間を見回すと、名前にはこだわりを持っている、あるいは持つべきと言う人が少なくない。「言霊」という言葉があるように、特に日本人は物の名前に大きな意味を持つものと信じている。

本名というのもそうだ。昔、江戸時代のころは成長にしたがって名前を変える(と聞いたが、確証なし。詳しい人がいたら指摘してください)と聞いたし、その時々にその人にあった名前をつけていったのだと思う。一方今は名前をかえると言う習慣がないため、親は子供に一生名乗っていく名前を、何日も考えて命名するのだろう。

一方で、HN(ハンドルネーム)はどうか。これはペルソナ(仮面)を被ったかりそめの自分を表現するためのものであり、違う仮面を被ることになるごとに、別の名前を使い分けるものだと考えている人が多いように思える。少なくとも僕が『神無月サスケ』というHNを使い始めたころは、パソコン通信の時代であり、ネットごとに違うHNを名乗っていた人も少なくなく、そういう風潮があった。

僕も、多くのネットワーカー同様、「イヤになったらすぐ変えればいい」という考えのもと、10月生まれなので神無月と、とっさの思いつきでつけた『さすけ』という名前を名乗った。その後、姓名判断で「フルネームの時はカタカナの方が画数がいい」と聞き、神無月サスケと名乗ることにした。

そういうかりそめの名前を、気がつけばもう10年近く名乗っていることになる。これの最大の理由は「変える理由がないから」ということになるのだろう。既に浸透してしまった名前であるし、それを変えてまで自分を的確に表現するHNを私は思いつかない。それはあたかも、自分の本名より的確な本名を自分で付けろと言われるような困難さに匹敵するのではないか。

江戸時代に改名をするときも、それだけの人生の転機があったからだと感じる。一方で私にそれだけの転機が訪れたといえるだろうか……私はまだ、2年前の延長線上にいるのだと感じている。というわけで、今しばらくはカタカナ、ひらがなどちらでもよく、なおかつ一般的なHNを使い続けていこうと感じている。