神無月サスケの波瀾万丈な日常

神無月サスケのツイッター(@ktakaki00)を補完する長文を書きます。

子猫殺し:直木賞作家・坂東眞砂子さんがエッセーで告白

お久しぶり、半月ぶりの日記です。

つい先週まで作っていた「ぼくのすむまち 第5話」、公開はまだ先ですが紹介させていただきます。今回のテーマは「命を考える」ということです。

今回の主人公は猫で、お寺や神社のある町が舞台です。お寺や神社は現代に残る古典という感じで、人類の命の流れを感じさせてくれる場所です。お盆にお墓参りに行った人も多く、そこで命を感じた人も多いのではないでしょうか。公開日が近づいてきたらもう少し詳しい紹介をするので今回はこのくらいにしておきます。

僕がこれを完成させて一息ついている今日、こんなニュースが飛び込んできて軽い衝撃を受けました。

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060824k0000m040165000c.html
『子猫殺し:直木賞作家・坂東さんがエッセーで告白』

日本経済新聞の18日の夕刊で、生と死を実感するために猫を避妊させず生まれた子猫を殺しているといいます。多くの人に衝撃を与えたらしく、ブログ検索するとこの話題で持ちきりですが、僕も命をテーマに創作をした矢先だけに、とりわけ考えさせられることが大きいです。

ブログ検索をしてみると、とりわけ多く見られたのが「保健所だって大量の野良猫を引き取っては、まとめて殺している」という話や「昔は間引きといって生まれすぎた子供を殺していた」という話です。これらの事実との比較が適切かどうかは皆さんの判断にまかせますが、同じ殺すということにしても、時代や状況によって適切かどうかが変わるというのは、確かにあります。しかし、それらはあくまで「やむにやまれぬ事情」で行われていたものです。

一方、今回の一件はどうでしょう。そういった「やむにやまれぬ事情」は、記事をみるかぎりでは感じられません。いや、彼女を擁護するわけではありませんが、作家である彼女の感性には「やむにやまれぬ事情(衝動)」があったのかもしれないと考えます。彼女の作品は読んだことがないのですが、作家と言うものはそういうとんがった感性を持っているものです。

しかし、なぜその感性を作品で表現するにとどめずに行動に移してしまうのかが理解できません。いや、ひょっとしたらこのエッセイは彼女の注目して欲しいがゆえの狂言かもしれないとも信じたいのですが、仮に事実だとすると、法律に抵触することは明らかです。

我々は日々、食べ物にするために生き物の命を殺しているのです。そこに思いを馳せてみるだけでも、命を感じることは出来ると思います。お寺や墓場を歩き、過去生きてきた人たちに思いを馳せるだけでも、感性の強い人なら、いろんなことを感じたでしょう。実際に行動に移す必要があったのでしょうか。

いや、うがった見方をすると、彼女は敢えてここまでしないと伝わらないと考えたのでしょうか。確かに我々は衝撃的な事件の方に敏感に反応します。一方「いただきます」という言葉に「命をいただくのです」という意味がある、などというNHK教育がよく流しそうな内容は、なかなか心に残らない人もいるでしょう。しかし、あくまで法律の範囲内で行動、表現することが最低限のルールではないでしょうか。作家だからといって法律を侵し許されると考えたとすれば、それは何らかの思い上がりとしか言いようがありません。

僕がここまで考えてしまうのは、僕も以前同じような衝動に駆られたことがあるからです。このブログを読んでいる皆さんの中には、僕が以前作った『Another Moon Whistle』をプレーした人も少なくないでしょう。この中には、ゲームだから許されるというわけでもないでしょう、犯罪者の心理を描いた、過剰に残虐な表現が存在します。当時の僕は「善悪をはっきり表現するためには、あえて残虐な描写もしなければならない」と考えていました。未だに僕はこの表現を世に送り出したことを背負いながら生きています。

逆に言うと、だからこそ僕は彼女に問いたいのです。なぜ作品の中で表現するにとどめなかったのか、なぜあなた自身が行動に移してしまったのか、と。作中の人物に問題のある行動をさせて、疑問提起をするのが作家じゃないのか、と。作家自身が法律を犯していいのか、と。

そしてこのエッセイは、新聞に掲載されたものです。個人が無責任にブログで書き連ねた類のものではありません。当然、日経のチェックがあったはずですが、その点について、記事には以下のようにありました。

日経社長室は「原稿の内容は、筆者の自主性を尊重している。今回の原稿も事前に担当者が筆者に内容を確認した上で掲載した。さまざまなご意見は真摯(しんし)に受け止めたい」と説明している。

果たして、この文章を掲載することに日経の担当者にためらいはなかったのでしょうか。社会通念に照らし合わせて問題があったという点も重大ですが、果たして表現の自由という言葉で片付けていいのか、いろいろと考えさせてくれます。

結論として、「死生観を訴えるために、作家としてその程度のレベルの感性しか持ち合わせていないのか」ということを感じました。生命へのいつくしみがあるなら、繰り返しになりますが作家として行動に移さず想像力を働かせ、その感性で作品で表現したはずです。生命をいたずらに殺めて感じる命の大切さなど、ありえないと感じます。そこにあるのは後悔だけでしょうし、そうでないとすれば、その方がよほど狂っているように思えます。

追記

このニュースはとりわけ反響が大きいですね。はてなダイアリーでちょっと検索をしただけでも、膨大な数が見つかりました。めぼしいものをいくつかトラックバックさせていただきます。

http://d.hatena.ne.jp/kkkkkkkk/20060824/p1
ここに記事全文が貼り付けてあったので拝読。僕が書いた意見になんら変わりはない。気になる方は読んでみてください。

http://d.hatena.ne.jp/kazesk/20060822/1156415219
こちらにはライブドアニュースの記事なども紹介されていてもう少し詳しい事情が見られます。また文面からも、やはりショックを受けておられるようです。