神無月サスケの波瀾万丈な日常

神無月サスケのツイッター(@ktakaki00)を補完する長文を書きます。

「平成ピストルショウ」の結果に見る、最近のコンパクのスタンス

コンパクWeb:
http://www.enterbrain.co.jp/techwin/data/contents/cpweb/index.html

今回、平成ピストルショウが「選外」となった。この結果に疑問を感じる人が、少なからずいた。

納得できる部分もあれば、納得行かない部分もある。そこで、僕がどう感じているのかを書かせてもらおうと思った。

結論から先に言う

長文になりそうなので結論から先に言う。

「今のコンパクは、僕が楽しんでいた頃のコンパクでは、もはやない」

以前のコンパクは、作品性や多様性を求めており、イロモノに対しても寛容だった。

しかし今のコンパクは、製品としての通用度や、一般ウケを求めており、もはやイロモノ枠が存在しなくなった。

これを進化と取るか退化と取るかは人それぞれだが、もはや僕個人には、今のコンパクは、ひどく魅力のない場所になってしまった。

インターネットコンテストパークの話

順をおって話そう。まずは、僕が楽しんでいた頃のコンパクについて。

コンテストパークと言うと、僕はインターネットコンテストパークのころが印象に残っている。Aコン(後にエンターブレインゲームコンテストに改題)と連動していたころである。

インターネットコンテストパーク(現在は終了):
http://www.enterbrain.co.jp/digifami/conpark/

当時のコンパクは、非常に多様性にあふれた作品が応募され、そして審査員の側も、それらを懐深く受け入れてくれていた気がする。

一番端的な例は、なんといっても「ときめきメロディー」だろう。

1999年4月:
http://www.enterbrain.co.jp/digifami/conpark/zyusyou/1999_04.html

あまりの下品さに、ショックを受ける人が続出した。僕もこの作品をプレーしたとき、衝撃をおぼえた。「アマチュアに禁じ手はない!」これを強く感じた。

今冷静になって考えると、これを受賞させたことは、本当に英断だったといえる。一応「公序良俗に反する作品は禁止」という決まりはあったはずだが、それは作品の芸術性との兼ね合いを崩さないように、最大限配慮されていたように思える。

また、審査員の側も、自分の主観を強く出すことなく、出来る限り客観的な審査をしていたように思える。

それは当時のシステムからしても言える。当時は、受賞の前に応募作品は1ヶ月公開されていた。この1ヶ月は「ノミネート期間」(後期は「エントリー期間」)と呼ばれ、皆が楽しんで編集部に感想を送ったり、プレーして盛り上がったり出来た。審査員である編集部も、最大限、その意見を参考にしていたわけだ。

そして審査員の側の理解を超えた作品であっても、最大限配慮していた気がする。イロモノに対しても、熱意を感じ取り、きちんとそれを評価していた気がするのだ。

それを最大限に感じたのが1999年1月、「ブラフマン」の評価である。

1999年1月:
http://www.enterbrain.co.jp/digifami/conpark/zyusyou/1999_01.html

ブラフマンに対して、「ブラフマン賞(銅賞相当)」なる賞が与えられている。

以下、引用:


この作品はコンテストパーク規定の金賞・銀賞等の枠に収まりきらない作品だったため、審査はかなり難航しました。そこで、今回は特別賞として“ブラフマン賞”を設けることに決定!

このように、「作品に対して、真剣に向き合う」「作者の熱意を感じ取る」という配慮が、最大限なされていたように思える。

現に、拙作Moon Whistleも、非常に好き嫌いが分かれる作品であった。ある意味、これを受賞させるのは、リスクが伴うかもしれない、そのくらい問題作の要素も内包している。しかし、きちんと努力と熱意を評価してくれた。コンテストパークの審査員の皆様には、今でも足を向けて寝られない。

テックウィンコンパク移行期に思ったこと

さて。インターネットコンテストパークは2002年6月に終了し、テックウィンの誌上に移った。テックウィンが休刊してからも、Web上で続いているのが、今のコンパクである。

僕はテックウィン読者なので、テックウィンの作風は知っている。様々な製品を紹介しており、それらを使って創作を行う方法が紹介されていた。プロを目指す人やデザイナー系、セミプロなど「創作でお金をもらっている人やそれを目指している人」をターゲットにしているように感じた。

一方、僕が知っているインターネットコンテストパークは、もっとオープンで、カオスだった。純粋に表現がしたい人、プレイヤーを楽しませたい人、驚かせたい人……「ツクールを使って楽しむ」「商品ではなく作品(芸術)を作りたい」そんな空気だった気がする。今あるツクール系のコミュニティを見ていても、いまも変わらず息づいている空気だ。

だからコンパクがテックウィンに移ると聞いて一抹の不安はあった。デジタルアイアンマン(テックウィンの投稿コーナー)のように、ツクール作品のウェイトが減ってしまわないか、というのもあったが、インターネットコンテストパークが得意としていた「イロモノ」が減ってしまうのではないか。

……とはいえ、丁度そのころから、僕はツクール界隈から離れていた。そのため、長い間、それほど投稿者の声などは聞こえず、ただ受賞作品をながめていただけだった。

テックウィンコンパクのウワサ

さて。僕は2006年に復帰し、それからぼちぼちツクール関係の皆さんと交流するようになってきた。そこでぼちぼち「テックウィンの審査に納得がいかない」という声も聞いていた。

しかし僕は冷静だった。「審査員である編集部の主観がある限り、そんなもんだ」と。ノミネート制がなくなったこともあり、外部の声が入らなくなった。だから、コンパクの結果なんて、割り切って考えたほうがいい、と。

審査結果には、審査員の主観が入る。この考えは今も正しいと思っている。要するに「結果など、一つの参考であり、絶対的な基準ではない」と。

テックウィンコンパクにはイロモノ枠がなくなったのか

しかし、「平成ピストルショウ」の結果を見て、大きな疑問が沸いてきた。

「イロモノ枠がなくなったのか」と。

それと同時に、「コンパクがテックウィンに移る」と聞いたときに感じていた不安が蘇ってきた。そう、悪い予感は、当たってしまっていたのだ。

繰り返すが、インターネットコンテストパーク時代は、暗黙の了解で「イロモノ枠」があった気がする。一般ウケしない作品であっても、熱意や芸術性を感じたら、そこを評価し、入賞させていた。

その基準で行けば、平成ピストルショウも、銀賞はいくのではないかと感じていた。

しかし、選外。

これを僕は「こういう作品は求めていません」という強い意思表示だと感じた。

確かにそうだ。この方がきっぱり諦めがつく。これが「あと一歩賞」や「銅」だったら、煮え切らない。門前払いされた方が、よほどすっきりする。

そうなのだ。この落選は編集部からのメッセージだったのだ。

「うちは、以前のコンパクにあったイロモノ枠は廃止しました」

その意思表示だったのだ。

納得の行かない落選は「名誉の選外」かもしれない

僕が今回気づいただけで、このような落選を受けた人は、これまでにも、いたのかもしれない。

無理もない。なにしろ「コンパク」の看板を背負ったまま、審査基準をごっそり変えてしまっているのだから。

そういう人たちは、コンパクの結果など、気にする必要はないと断言する。

むしろ、今回の平成ピストルショウは、「名誉の選外」だと感じる。

芸術性の高さ、あまりの個性的な要素の高さゆえの、選外だったのだと感じる。

そして悟った。今後、コンパクを探しても、このような作品には出会えない。

僕が魅力を感じる作品に出会うには、別の場所を探さなければならないのだ、と。

結論

というわけで、僕の中で一つ吹っ切れたものがある。

これまで「コンテストで受賞しなくても、面白い作品はたくさんある」と感じてきたが、実際受賞作品に名作が多いので、強くいえなかった。

しかし、こういう個性の強い作品が選外になったことで、これからは、はっきりいえる。

「コンテストで受賞しなくても、選外になっても、名作と呼べる作品はある」と。

僕が、平成ピストルショウに出会えたこと、結果に立ち会えたことは、とても幸運なことだった。

追記 08/03/19

掲示板で情報をいただきましたが、旧コンパクで個性的な作品を出していたデビルアニキ氏も、新コンパクで選外になったことがあるようです。うーむ、旧コンパクを見ていた僕からすると、「きわめて野暮な計らい」としか言いようがない。

新コンパクの「イロモノ排除」の傾向は以前からだったようです。