神無月サスケの波瀾万丈な日常

神無月サスケのツイッター(@ktakaki00)を補完する長文を書きます。

マイノリティが自分の特徴をカミングアウトすべきかどうかがケースバイケースである理由

なぜこの文章を書いたか

某匿名掲示板で、ある人に対して「あなたは自分の性癖を隠しているが早くカミングアウトすべきだ、その方があなた自身のためでもある。多くの人がそれに気づいてあなたの元を去ってからでは遅い」という意見を見かけたが、それは必ずしも正しくないと強く感じた。その理由を述べる。

この文章について

上記のような発言をしている人は必ず読んで欲しい。

それ以外の場合で、あなたや友人がもしカミングアウトを悩んでいることがある場合、あるいは何かを既にカミングアウトして悩んでいる場合、得る物があるだろう。

マイノリティに興味がない場合、時間の無駄かもしれない。

はじめに:マイノリティとはどういうことか

マイノリティは、それだけで「色がついている」と見なされ、それ自体が特徴とみなされる。例えば、異性愛者がそれを公言しても「エッチだなあ」程度の反響で、特に何とも思われないが。同性愛者がそれを言うと、理解や同意にせよ、拒否にせよ、必ず何らかの「色」がついたものと認識される。そして、差別の対象にすらなる。

先に結論を言う

そして匿名掲示板の彼らは言う。「そういう性癖がばれてからでは、人が離れていくので遅い。早めにカミングアウトしておけば、理解者だけが付いてくる。その方がいい」と。しかしそれは誤解である。あてはまることもあれば、そうでないこともある。

なぜか。本当にその人を理解している人が、その人の特徴(性癖や思想信条など)を知っても、その人のその他の部分を理解しているなら、理解してあげられることがある。一方で、仮にその性癖だから、と拒否していたら、食わず嫌いと同様、その人の本当のアピールポイントに気づかれないまま拒否されることになる。

実例

槇原敬之を例に挙げよう(彼を例に挙げるのは、説明のしやすさが唯一の理由であり、全く他意はない。ご理解されたい)。彼は逮捕され、その裁判の経緯で、ゲイであることが知れ渡った。こういう場合、女性ファンが離れることが少なくないが、それが知れ渡っても、彼の人気は衰えなかった。これはなぜか。ひとえに、彼の作品の素晴らしさと人間性にあると言える。彼のファンにとっては、あくまで作品と人間性こそが一番であり、同性愛かどうかなど、大した問題ではなかったからだろう。

槇原敬之自身は、自分が同性愛者であることをカミングアウトしていない(注:今検索すると、カミングアウトはしているという記事も見かけた。しかし、大々的に報道されるほどには記憶していないため、敢えてこのように位置づけた)。仮に、彼がカミングアウトし、彼がゲイであることが前提であり、彼がどんな作品を出しているかは知られていなかったとする。その場合、恐らく「彼がゲイだから」という理由で敬遠する人が続出したであろう。先にゲイであることを知っただけの理由で、彼の素晴らしい作品性を知ればきっとそんなことは気にならなかったであろう人でさえ、敬遠してしまうのである。

それでは、槇原敬之は「有名だから、カミングアウトしないのが正解だった」と言えるか。それもまた一概に言えない。仮にカミングアウトしても、支持を得る方法があった。それは、「セクシャルマイノリティとして」活動することであった。つまり、同性愛を自分のブランドイメージにすることであった。こうすれば、同性愛の当事者や研究者が率先して彼をアピールすることになっただろう。それだけでなく、「同性愛って何だろう?」と興味を持つ人が、そういう意識で彼を評価したから恐らく人気の意味ではまた違った評価のされ方で、人気を維持できたのではないかと思う。

彼がそれをしなかったのは、あくまで彼の「自分は何者か」という"スタンスの選択"の結果なのだと僕は考える。つまり、槇原自身が、「あくまでニュートラルに、作品を愛してくれる人に広く届けたい、同性愛のことは知ってもらう人に届いて、そこで判断してもらえばいい」と考えたのか、「自分は同性愛というスタンスで、賛否を受け止めながら、その上で作品を発表していきたい」と思ったのか、である。槇原の作品を見ていると、後者の選択も出来たはずだ。しかし彼自身は前者を選んだ、それはただ単に彼自身の信条ゆえでありそれ以上でもそれ以下でもなかったはずだ。

(もちろん、これは違うかもしれない。綿密な調査の結果、カミングアウトしたらファンや売り上げが激減するというデータがあり、口止めを強要されたからかもしれないが)

結論が導かれた理由

以上で、理由がお分かりだろう。

要するに、「カミングアウトをする」ということは、これまでニュートラルだった自分に、「色がつく」ことを意味する。周囲の見方が変わることを意味する。これを自覚しようが、自覚しまいが、カミングアウトをすることで、そのことを実感することになる。マイノリティというのは、マジョリティとは違う「色がついた」存在であり、それ自体がその人の「前提として」勘案されるということである。

よって「マイノリティであること=自分のアイデンティティ」としたい人は、覚悟を決めた上で早かれ遅かれカミングアウトをすることをお勧めしたい。きっと、一部の人はあなたのもとを去っていく。しかしそれ以上に新しい出会いがあるだろう。一方、「あくまでマイノリティに自分のアイデンティティはない。別のところにある」と思う人はカミングアウトはしないのが賢明だ。あなたはそれ以外の部分で味方を得、仮にそのマイノリティの特徴がばれても、あなたの本当のアイデンティティ(作品として表現したもの)がぶれていないのなら、離れていく人はそう多くは無い。

最後に

本当は僕はこんな文章は書く必要がないと思っていた。当たり前のことと思っていた。

それを敢えて書いたのは、ほかでもない、匿名掲示板の無理解な意見を読んだからだ。カミングアウトするかどうかなどというのは、本人が自分のスタンスを考えてから決めるべきであり本人の選択である。それを外野がとやかく口を挟むべきではない。