神無月サスケの波瀾万丈な日常

神無月サスケのツイッター(@ktakaki00)を補完する長文を書きます。

死にたいときのための漫画紹介・その4

寒くなってきて、気持ちが沈みがちな毎日、皆さんいかがお過ごしでしょうか。僕のほうは、ぼちぼち頑張っています。さて。これまで、死にたい気持ちが高まるときに心の支えとなる漫画を紹介してきましたが、ついに真打ちの登場です。

今回紹介するのは、ゲゲゲの鬼太郎の作者、水木しげるの自伝漫画です。

水木しげる伝(文庫版・全3巻)

完全版水木しげる伝(上) (講談社漫画文庫)

完全版水木しげる伝(上) (講談社漫画文庫)

完全版水木しげる伝(中) (講談社漫画文庫)

完全版水木しげる伝(中) (講談社漫画文庫)

完全版水木しげる伝(下) (講談社漫画文庫)

完全版水木しげる伝(下) (講談社漫画文庫)

水木しげるの波乱万丈な日常

今となってはゲゲゲの鬼太郎で老若男女に認知度も高く、妖怪マニアからは崇拝の対象にさえなっている彼。明らかに常人離れした才能を持つ、天才であると言えます。

そんな彼も若いころは壮絶な経験をしています。


特によく話題になるのは、戦前、戦中の水木しげるの体験です。

太平洋戦争が始まり、徐々に戦争の足音が近づいてくる。皆の日常が徐々に平時体制から戦時体制に入っていく。ついに彼にも赤紙がくる。そして南の島に出兵。いち兵隊としての戦争体験。多くの仲間が戦死していく。彼も極限状態を体験しつつ、一人生き残る……そんなリアルな戦争体験は、歴史的な資料としても価値があるのでしょう、様々な場所で引き合いに出されます。また、戦争の極限状態の中、どこまでもマイペースを貫き通した彼の生き方は、現代の我々、特にまじめすぎる人にとって、目からうろこが落ちることでしょう。


しかし僕が今回推したいのは、彼の戦争体験以外の、平時での苦労話です。

とにかく、彼は若いころ、規格外ということで次々につまはじきにされ続けている。学校でも落第生、どんな仕事をやっても失敗。

中学卒業後、園芸学校に入学を志願するが、定員が50人で志望者が51人なのに、彼一人不合格。面接で志望動機を聞かれ「将来は絵描きになりたい。だからここを卒業したら美術学校に入る」と、あくまで踏み台であることを正直に話してしまったのが原因なのだが、いやはや。

しかもその話には続きがあり、働くしかないと思い松下の工場へ行く。当時は誰でも雇ってくれるような状態のため、めでたく雇われるのだが、なんとわずか2日で工場をクビになっている。その後も新聞配達をするものの、何度も配達が遅れ、一度は井戸に突っ込んで新聞をどろどろにしてしまっている。とにかく、何をやっても失敗の連続。

実話のはずなのに、まるでフィクションの登場人物のようにダメを地で行く様子が生々しく描かれています。


戦争が終わったのが23歳の時。しかしその後も社会人としてあまりにも規格外で苦労が続く。

20代のころは、輪タク業者やアパート経営をやるのですが、彼に経営センスがあるわけもなく、まったく長続きしない。このころ紙芝居の絵を描き始める。

30代のころは、時代の波にのまれていく。それまで紙芝居の絵を描いていたが、テレビの普及により、紙芝居が急速に廃れ、貸本漫画を描くように。35歳前後でようやく処女作を発表。その後しばらく、地道に漫画を描いて生活の足しにしていく。

しかし生活は貧窮のきわみだった。当時の貸本漫画会社は経営がめちゃくちゃなところが多かったらしく、原稿料の支払いが遅れることはざらにあり、ひどい時には出版社の依頼で大作を描きあげた後、その出版社がつぶれてしまうことも。結果として極貧。39歳で見合いで結婚させられるがその後も貧窮は続き、長女誕生が40歳のころだが、そのころ、アパートの立ち退きを命じられるなど、苦悩が続く。

ようやく芽が出たのが42歳という大器晩成ぶり。きっかけはガロをはじめとした週刊誌での連載が始まったことで、ようやく経済的に安定してきた模様。もっとも、その後もたびたび大変なことは訪れるのだが(過労で倒れる、南の島の悪霊にとりつかれるなど)。

大器晩成という生き方

もしあなたが、自分には創作の道しかないのに、創作でもいい歳して泣かず飛ばずだ……なんて感じているのなら、水木しげるの自伝は、ぜひ読むべきです。

文庫本の下巻の最後に水木しげるの年表がついています。

あなたがもし40歳以下なら、自分と同じ年齢のとき、水木しげるがどういう人生を送っていたかを確認してごらんなさい。それだけで、十分立ち直れますよ。

そう。水木しげるとあなたの違いは、水木しげるがずっとマイペースだったのに対し、あなたはいつも自分の現状とか将来ばかり気にして身動きが取れなくなっていることなんです。そんなことだから、自分の持ち味がどんどん失われていくんです。もっと自己流を貫き通してごらんなさい。そうすれば、きっと、道は開けてきますって。

僕の周囲を見ていても、規格外の人間っていうのは、何がしか特技や、その人にしかない秀でた才能を持っているように見えます。それを、埋没させるか、開花させるかが勝負の鍵なんです。世間の目なんて気にしている人は、大抵埋没させてしまっています。誰がなんと言おうと、自分には自分の道しかないと確固たる信念を持って、そして誰が何といおうとひたすらマイペースで行く人は、自然と自分を開花させられますよ。

もう一度聞きます。水木しげるは40歳でもまだ貧窮生活してました。あなたの年齢の時、水木しげるは何をしていましたか。あなたは、それでもまだ「自分の年齢が」などと焦りますか。

焦る代わりに、水木しげるを見習って、究極にマイペースに生きてみませんか。

追記:水木しげるロードに行こう

2007年の正月、連れ(id:nr-sparkle)と二人で、鳥取県は境港にある水木しげるロードに行きました。

水木しげる記念館で彼の生い立ちを知り、思わず近くの本屋で前述の単行本を買いました。ちなみにその本屋、全国で唯一という、妖怪関連書籍専門の本屋です。

正月だというのに、なかなかの盛り上がりようでしたが、なんというか、空気が違うものを感じました。

この「空気が違う感覚」、山陰というのも無関係ではないと思います。山陰本線に乗り継ぎ米子駅まで行き、そこから0番ホーム(0=霊とかけているらしい)から出る電車で境港にいけるのですが、電車からゲゲゲの鬼太郎のBGMが流れる、電車にもキャラがデザインされている。我々が乗ったのはネコ娘が描かれており、ピンクに塗装されていたのが、ある意味シュールでした。

その年の4月にゲゲゲの鬼太郎のテレビアニメの新シリーズが始まるなど、妖怪ブームが訪れたこともあり、今では観光客がさらに多いんだろうな、と思いますが、きっとこの「空気が違う感覚」はそのままなんだと思います。

死にたくなったら、ぜひ鳥取の境港で、水木しげると妖怪の空気に触れてみるといいでしょう。死ぬなんてことを考えていた自分がばかばかしくなることでしょう。