神無月サスケの波瀾万丈な日常

神無月サスケのツイッター(@ktakaki00)を補完する長文を書きます。

ぜのんの住む街で火災発生

ムンホイの舞台は飯塚市がモデルになっていた

拙作Moon Whistleは、幼稚園児ぜのんが、自分の町を探検するRPGである。

この町は、僕の生まれ故郷、福岡県飯塚市の本町周辺をベースにしている。「もとまちタウン」とは「本町」をもじって付けられた名前だ。(正しい読み方は「ほんまち」)。

炭鉱が閉山した後も、お年寄りが多く活気があった町だ。

本町商店街で、本日火災発生

そんなぜのん君の住む街で、なんと今日(4月21日)、火災が発生。しかも、なんと、僕の実家も、まさに被害にあっているという!

Yahoo!のトップニュースにも出ていた。

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn/20080421/20080421-00000041-jnn-soci.html

というわけで、今日の顛末をしたためようと思う。

僕が受けた第一報

午後4時過ぎ、祖母のケアマネージャーから電話がかかってきた。祖母に連絡が取れないので、緊急連絡先の僕にかかってきたのだ。

「電話をかけても連絡が取れない。樽屋町で火災が発生したらしいが大丈夫か」

寝耳に水とはこのことか。急いでかけつけた。

僕の実家について

僕の実家は、本町商店街の中にある。今は亡き祖父が、この本町にお店を構えていた(一条という洋服屋だった)。祖父は町内会長などもやり、かなり人望があったらしい。お店をやめた今も、祖母と父は2階に住み、1階を貸している。僕もよく足を運んでいる。

本町商店街の町並み

この商店街は、僕にとって、幼稚園の頃から変わらない、懐かしい町並みである。

しかし、それゆえに建築基準法が今のものになる前の建物が多い。

僕の実家の周辺も、長屋のように、隙間なく建物が並んでいる。その上、入り組んでいてトラックが入れない構造のため、もし火事が起きたら大変なことになる、そんなことを考えていた。

実際、回覧板などを見ていても、防災の意識は高かった気がする。

しかし、それでも火災はおきてしまった。注意していても、起きてしまうのが火災の恐ろしいところである。

急いで本町に向かう

我が家は無事だろうか。急いで本町に向かった。

JR飯塚駅で下車。菰田からでも煙が見える。遠賀川を挟んでおり、現場からはかなり遠いのに見える煙が、火の大きさを物語る。

普段は静かな上空、今日はヘリコプターが何台も上空を舞い、プロペラの音が嫌でも不安を高める。

父と祖母は無事

商店街の前は消防車が何台も来ており、立入禁止になっている。避難した商店街の人と思しき人たちが不安そうに眺めている。

その人ごみの中に父を発見。

まさに実家の周辺が火に包まれているらしく、早めに避難してきたというのだ。

しかし、どうやら、父も祖母も無事だったようで、まずは胸をなでおろす。

父の体験談

午後3時ごろ、通りで火災が発生したそうだが、離れていたため、うちへの延焼はないと思っていた。

ところが、なかなか鎮火せず、延焼していく。

数件先にも火の手がまわり、これは逃げなければ、ということになり、祖母のかかりつけの病院が、迎えに来てくれたそうだ。

周囲の人たちも早めに避難したらしく、けが人の話は聞かない。このあたりは、普段のこの地域の近所づきあいのよさが幸いしているのかもしれない。

延焼を繰り返している

なぜ、これだけ延焼してしまったのか。

空気が乾燥していたことと、風向きが悪かったことが災いしたらしい。

そして、前述のとおり、建物が密集しており、消防車が入りづらい地理条件もあるだろう。

かなり遠くから、ホースを長く伸ばして水を運んでいる様子が目撃された。


今、ニュースサイトを見ていても「延焼を繰り返している」という表現が目立つ。

この後午後9時過ぎに見に行っても、未だに完全に鎮火しておらず、消火活動が続いていた。実家周辺が立入禁止になっており、結局実家の状況を見ることは出来なかった。

周囲から垣間見ているだけだが、実家の向かいはかなり燃え方が激しいようだ。

不幸中の幸いが重なった

今回の火事は、本当に不幸中の幸いが重なっている。

これまでは祖母が足が良くなく、外出が出来ない状態だった。ところが、つい数日前から、調子がよくなり、歩けるようになっていた。調子がよかったからこそ、順調に避難することが出来た。

僕の方も、たまたま実家に貴重品を預けていなかった。父は貴重品を持ち出していたが、僕の荷物までは気が回らなかったというからもし何か置いていたら、火に包まれていただろう。

いろんな話を聞いているが、けが人の話は聞かない。

僕の家族にとっても、商店街にとっても、(まだ予断は許さないが)不幸中の幸い、だったようだ。

遠くの友人からも連絡が来る

この火災のことで頭が一杯だったが、どうやら、このニュースは全国版でも扱われていたようである。

今夜、インターネットでニュースを知った関西の友人から連絡が来た。
しばらく連絡がなかったが、心配してくれていた。さすがに僕の実家が被害にあっていたと聞いて驚いていたが、正直、最悪の事態はまぬかれたので落ち着いていることも伝えておいた。

今夜はここまで

今夜は戻れないようで、父も祖母も外泊。近所に親戚が住んでいることもあり、何かあったときも安心である。こういう「頼れる人がいる」という何気ない安心感、普段はそれほど感じないが、こういうときには強く感じている。父や祖母も感じているだろう。

僕もいろいろと父と祖母のためにスーパーで買いだしをしてきた。(余談:祖母のために買ってきたパジャマ、サイズが合わなかったので普段着で寝るらしい、すみません……)

こうして、一旦アパートに戻って、このブログを書いている。

結局、今日は立入禁止のため、実家に戻ることは出来なかった。このため、被災の状況が分からないし、実家の今後のことも分からないのだが、ひとまず、皆無事でよかったという気持ちである。

今後の細かい状況などは、落ち着いてから(反響があれば?)書こうと思います。